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国際協力で訪れたモロッコの小さな村から教わった「幸せと豊かさの源泉」

2023年11月27日

コミュニケーションのイラスト

今日ご紹介するのは、モロッコと日本を繋ぐ女性起業家カモチリナさん。

DAR AMAL(ダール・アマル)アラビア語で希望の家という意味をもつブランドを立ち上げ、モロッコ女性が手で紡ぐ刺繡をバックにして日本で販売するエシカル事業をされています。

2010年、国際協力機構(JICA)の村落開発普及員として訪れたモロッコの村で、村の女性たちの雇用を創出する活動をスタート。
2年の任務を終えた後、本格的にエシカル事業で起業されました。
そこから10年、様々なイベントに出店し多くのお客様に商品を届けておられます。

そんなカモチさんが仕事をする上で一番大切にしているのは

「自分の心に正直でいること」

事業をしていると「いかに利益があがるか」に焦点をおきがちになるが、カモチさんは「自分の心が大切にしている価値観に沿っているか」を基準にして、今の事業を長く続けることを一番優先しているという。

最初の動機は国際協力という現地を救済する目的で訪れたモロッコ、そのモロッコから「かけがえのない大切なもの」をたくさんもらっていると語るカモチさん、数々の困難がありながらも、今、彼女の事業を支えているものは一体何なのか?

カモチさんのキャリア、生き方を通して、あなたの心に、本当に大切にしたいことは何か?という問いが生まれることを願っています。

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お名前:カモチリナ様
屋号:https://www.dar-amal.com/
キャリア:自営業→会社員→JICA(モロッコ派遣)→起業

 

マザーテレサをリスペクトする母の教えが影響し国際協力事業団の派遣でモロッコへ

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ーカモチさんが今のエシカル事業をされるようになったのは国際協力機構*(JICA)(*以下JICAと省略)の活動がきっかけと伺いましたが、そもそもJICAを志望する動機、原点は何だったのでしょうか?


私は高校生の時にジャーナリストになりたい!と思っていたんです。自分が知らない国の人達の「声なき声を届けたい」という思いがありました。その原点は何かを振り返ると、やはり両親の影響が大きいと思います。

父は仕事で海外に行くことが多く、現地の知人が私の実家に来たりと私にとって幼少期から海外は身近でした。また、母はマザーテレサが好きで、自分のことだけを考えた行動をとるのではなくて、いつも全体のことを考えて行動するということを肌で学んでいたのだと思います。

ージャーナリストの夢をもたれ、複数のお仕事をされた後、JICAを志望されていますね。これは自身の想いや目標をそのまま実現させた、というより紆余曲折があったようですがどんな流れだったのでしょうか?


実は、高校で海外留学をしていて、そのまま大学に編入してジャーナリズムを学ぼうと思っていたのです。でも、2001年アメリカで起きた9.11のテロの影響で日本に帰国することになり、留学の夢を断念したんです。
そこで目標を見失ってしまって、アパレル職についたり、会社の事務仕事をしたりしていました。

でもたまたまJICAの活動を終えた人に会うことがあり、再び、自分の中に眠っていた「遠い国に住む誰かの声なき声を届けたい」という想いが呼び起されたんです。

 

ーなるほど、当初は中央アフリカに行きたいという気持ちが強かったと聞きましたが、最終的にモロッコへの派遣になったようですね。派遣された当初から雇用創出のサポートをしようとか、何か計画はお持ちだったんでしょうか?

 

いえいえ。JICAの「コミュニティ支援」というカテゴリーで赴任したのですが、そこで何をするかは全く決まっていなくて、何をしてどう過ごすのかは全て私に任されていました。

モロッコの小さな村ムーレイイドリスに1人送られ、最初は村長の家に住まわせてもらい、そこから自分の家を探して、そして少しずつ村に馴染んでいくという本当に0からの活動でした。

 

ーすごいですね。全く素地がないところから一人で作り上げていくのですね。一番大変だったことは何でしたか?


いろいろありましたが、やっぱり言葉ですね。当初、フランス語が通じると思っていたのですが、話せるのは村長くらいで、殆どの村人がアラビア語だったんです。
言葉も通じないところから、村の課題やニーズに耳を傾け、私ができる支援や協力を少しずつ探していきました。

そこで見つけた大きな課題が、村の女性達に仕事がない、つまり現金収入がないことでした。お金がないので、町へ行くこともできない、教育の機会も創れない、だからいつまでたっても仕事がない、そんな悪循環がありました。

そこで現地の女性達の伝統刺繡の技術で雇用を生み出すことを始めていったんです。
そして、もうひとつの課題は、彼女たちのつくった商品は安く買いたたかれていて搾取されていました。

雇用の創出と、正当な対価で仕事をする、というのがこの事業の根幹となりました。

だから、最初の商品は、モロッコ国内に駐在する日本人や外国人に販売したのですが、その時、初めての売上(現金)を手にして、村に帰った時のことは忘れられません。

 

ー今のお話で仕事で正当な対価を得た喜びが、彼女たちにとって、どれほどのものだったのか、が容易に想像できますね。そして、2年のJICA任務が終わった後も、村の女性達と一緒に事業をすることを決意され、そこからモロッコと日本を行き来する人生が始まったのですね。
創った商品を販売し売上にコミットすることは、事業を成功させる上で当たり前に重要ですが、カモチさんの場合は、現金収入のあてがない村の女性の生活を背負うという大きな責任を意味しています。

その重責を負いながら、1人で日本とモロッコの架け橋になり10年も継続されているその原動力は一体何なのか、それを次の章で伺いたいと思います。

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事業7年目の裏切りと大きな挫折、それでもモロッコの村を支援したい理由


ー事業が軌道に乗りかけた頃、村の女性の横領が発覚する事件が起こったそうですね。「
もうモロッコに戻りたくない」くらいのショックで、事業も途絶えていたかもしれない大きな出来事だったと聞きました。裏切られた精神的ショックから再び立ち直り、事業を継続される決断の理由を教えてください。


そうなんです。事業をスタートさせて7年経った時、実の妹のように可愛がっていた女性グループのリーダーの裏切り行為が発覚したんです。それが私個人のものではなく、村のみんなに配るお金で、事業をスタート当初から7年、ずっと続いていた事実を知り、あまりのショックで、本当に立ち上がれなくなるくらいでした。

現金収入のなかった暮らしに「お金」が登場したことで、お金が人を変えてしまったことも自分のやってきたことの正しさが問われる気がして落ち込みました。

 

一旦帰国し、もう辞めようかと思っていたのですが、モロッコに家があり、それを整理する意味でも、もう一度、モロッコに帰ったんです。

 

事件のことは信頼できる女性2人にしか話をしておらず、村の殆どの女性たちは、何が起こったのか、なぜ私が体調を壊して日本に帰ったのか真相を知りませんでした。

 

モロッコに帰った私に、事件のことを知っていた女性2人が、こう言ってくれたんです。


「もし、リナがこれから新しい未来を選択して次のステップに進むというなら私たちは止めない。でも、今は去らないで欲しい。こんなにリナを酷い気持ちにしてしまったままだと、もうリナは2度とモロッコに帰ってこれなくなる。だから、もう一度、私達にチャンスをくれないか」
と、真摯に頭を下げてくれたのです。


彼女たちが事件をおこした訳でもないにも拘わらず、自分たちの責任として私を気遣い謝ってくれたのです。


ー本当に心が温かくなりますね。リナさんがいなくなったら自分たちの生活がたちまち困ってしまう、でも、それよりもリナさんのことを一番に思っていることが伝わりますね。

 

そうなんです。私は女性達のこの優しさにいつも包んでもらっていて、それにお返しをしたい気持ちで事業を続けてきました。
今回も彼女たちの懐の深い寛容さと愛情に救われ、またこんな彼女たちの力になりたいと、再びコミットしなおしたんです。

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10年続けることで生まれた新しい夢


ーカモチさんの発言の中に「村の女性達にお返しがしたい」という言葉がよく出てきます。それは何に対するお返しなのでしょうか?


それはムーレイイドリスの村の人たちがくれる愛情に対してなんです。

モロッコの村は、日本では想像できないくらい食料や、物がありません。

そんな状態でも、村の人は私を見かけると、貴重なパンや卵を私にたくさんわけてくれるんです。私の方がお金を持っているにも拘わらずです。町で買った食材があるからって言って断るのですが「こっちの方が栄養があるから・・」と私にたくさん持たせてくれるんです。

本人たちも余裕がないのに、思いやりから私に与えようとしてくれる、私はその想いをたくさんたくさん貰っているんです。


ー同じ与えるでも余裕がある中での行為と、そうでない状況での行為にはその価値の重みが全く違いますね。


そうですね。私は日本にいた時にいつも違和感を感じていたんです.。社会にはびこっている理不尽さみたいなものに対して、どうして優しさで解決できないんだろうと思っていたんです。

でも、モロッコの村では、みんなが助け合ったり、親切にすることが、当たり前で、私はいつもそれに救われているんです。


ーカモチさんの人生で大切にしているものは「人の純粋さ」に触れるということなのでしょうか?
もしかしたら、リナさんが小さい頃から人の純粋さという宝物を社会の中に見つけだしたかった、それが日本ではなくモロッコで見つかった、そんな印象を受けました。


そうかもしれません。村のみんなからその大事なものをいつも貰っていて、それに対してお返ししたいという気持ちが今の事業が続いている一番の動機です。

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ーカモチさんの事業は、モロッコの村の女性達とお互いに想い還元しあいながらの共同事業なのですね。本当に素敵です。最後に、これからの夢、ビジョンを教えてください。


ありがとうございます。10年経って、私の活動をいろんな場面で紹介していただき、講演を行う機会が増えました。

そして、私の話を聞いてモロッコに来てくださる方が出てきたんです。
現地に来られた方が、村のみんなに触れ、そしてムーレイイドリスの綺麗な景色を見て涙を流されるんです。

きっとそれぞれその涙の理由は違うのだと思いますが、言葉にできない何かがそれぞれの心の琴線に触れ、感情が溢れ出すのだろうなと思っています。

日本からモロッコへという道筋をつくることで、物にあふれている日本人が物の少ないモロッコの村で新しい価値を見つけるそんなお手伝いができるのではないか?と思っています。

 

ー素敵な未来のお話を本当にありがとうございます。カモチさんのお話を聞くといつかモロッコに行ってみたいと心が揺さぶられます。それはモロッコの女性達の愛情やモロッコの文化や精神性が届くからであり、モロッコの魅力と価値が商品を通して伝わるからなのだと思いました。

 

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モノがない国で​
豊かだと感じるのは
なぜだろう

​おなじ空の下
視点を変えることで
見える世界が変わることを
​お伝えしています。

このメッセージはDAR AMAL(ダール・アマル)のサイトに掲載されている言葉です。

国際協力というと、物質的に豊かな国が貧困国に対してサポートするという構図があり、そこで「与える側」と「受け取る側」が出来上がってしまうと、パワーバランスが少しフェアではないイメージがあります。でも、カモチさんとモロッコの女性達との共同事業は、モロッコの女性に対する心からのリスペクトと感謝の気持ちから事業が成り立っている、これこそ、言葉どおりのフェアトレードなのだと感じました。

事業を大きくすることが目的でもなく、モロッコの女性の「純粋さ」が商品を通じて人の心に届くこと、これがカモチさんの仕事をする上でのぶれない基準点。

 

自分の生き方、豊かさや幸せの価値観は自分が決める。


モロッコの小さな村から始まった純粋な物語が、働き方や人生そのものに迷う多くの人を勇気づけていくことでしょう。

 


「あなたの働くを考える」インタビューコラムでは、様々な職種、雇用形態、働き方の方にインタビューし、
その方のキャリア形成のプロセスに着目しながら、どんな動機やきっかけが人のキャリアを形作っていったのか?
そしてそれが人生にもたらしている影響はどんなものなのか?を伝えていきます。

そうすることで、読者の「働くこと」を考えるひとつのきっかけや刺激になることを目的としています。

あなたは、今なぜ、その仕事をしていますか?
今の仕事、働き方に満足していますか?
あなたがチャレンジしてみたいことはどんなことですか?

これからの「あなたの働く」をこの記事とともに一緒に描いてみましょう。